採用案内 2022年

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水は低きに流れ、人は易きに流れる。

何がどうなるか、長い時間をかけてみないとわからない。(麻生太郎)


私も同感ですので、以下に転載します。日本人は、欧米人と違って、成文的な規律をもたない民族です。(成文的とは、たとえば、聖書のように成熟した文に則って日々の生活を送る人々)。その是非はともかく、仏教徒が多いなかで、神道もある。仏教でも宗派も様々ですが、とくに聖書的なものは持たない。クリスマス、ハロウィン、他宗教の文化?もすぐに受け入れる。

このような面が、戦後、宗教に左右される側面がなかった日本が、早急に経済発展を成し遂げた理由の1つではなかったではないでしょうか?

個人的には、労働時間を短縮すること=休日を増やす=働き方改革ではないと思っています。大切なのは、労働の”質”ではないでしょうか?アリとキリギリスの話を知らない人はいないでしょう。

 

 

食べログ「ガスコーニュ青年隊、京都府 男性」の記事より転載引用

 

古事記 天照大神  神々は働いていた。労働は善。

   働かざるもの食うべからず

この言葉は、様々な解釈・使われ方をしてきましたが、そもそもは新約聖書のパウロの言葉。
他人の労働から搾取する事を諌めたり、怠惰な心を戒めたものと思われ、
まぁ我々がなんとなく抱いてる通りの意味であると思われます。

水は低きに流れ、人は易きに流れます。
「人は使ってなんぼ」、こういう考えの人もいるでしょう。 それを否定はしません。
また、日々の生活の中で「労働」を「苦役」と感じることも多々あります。

そこで、この国において「労働」とはどういう位置づけを成されてきたのかを、
いくつかの文献をもとにして考えてみました。


特定の宗教を持たない日本人にとって、その根源に流れる精神性の核は今で言う「神道」、
  明治以前は「古神道」と呼ばれていたものでしょう。
  縄文時代あたりから自然発生的に始まったとされる土着信仰です。
  宗教ではないため経典などはありませんが、最も古い書物・古事記がそれにあたるでしょう。

この古事記の一節にこういうものがあります。

「(天照大御神が)機織り小屋からいでたまえ 神々はいかにしておわすぞと 天の岩戸を開けたまい 
 高天原をながむれば 神々は野に出て働いていた

一番偉い神様である天照大御神が機織りという仕事をされており、高天原では「神々」も労働していた。。。
神様のなさる事が、悪い事や苦役であるはずがありません。従って・・・

                            労働=善行

これが、我々日本人の労働に対する根元的な概念ではないでしょうか?
全ての労働は尊いものなのだという思想に立脚してある私たちの今日。。。

世界から、時に「働き蟻」などと揶揄されてきた日本人。
たしかに世界的な宗教の多くで原書とされている旧約聖書において書かれている「労働」は、
我々とは違う価値観を示しています。

神に背いて「知恵の実」を食べてしまったアダムは罰を与えられてしまいます。
その罰とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・労働です。
                            労働=罰

どちらがどうという事ではなく、違いがあるという事です。

朝の挨拶ひとつとっても、
英語では。。。   「Good morning」(良い朝ですね)
日本語では。。。  「お早う御座います」(早くから起きて頑張って働いておられますね)

また、「早起きは三文の得」というコトワザもあります。

これらは決して、日本人が守銭奴的な性質を宿しているということではなく、
そも、「労働は尊いもの」として捉えられていたからではないでしょうか。

労働によって得る「貨幣」。。。この「貨幣」という文字にも意味があります。
「貨」という文字は、上が「化ける」で下が「貝」。
「貝」という文字は宝物という意味なので、「貝」を持っていると色々なものに「化」けられるということ。
「弊」という文字の本来の意味は「神への送り物」として使われる「御幣」を指していて、
皆が清らかな気持ちで扱うもの。(写真参照)

つまり、「貨幣」というものは尊いものだという事を表しているわけです。
「聖(ひじり)宿るもの」であると。
ともすれば人を狂わせる「お金」という物に、ある種崇高な意味を持たせる事で、
人々の心を正しく持たせようという意図を見てとれはしませんでしょうか?

かつて言語は思想だったんです。
言葉一つが包括的に人の「ありよう」に正しく影響を及ぼしていた。。。
また、そうあれかしという希望や教えが見てとれます。。。
いま、失われつつあるものの一つではないでしょうか?


閑話休題。
同じ働くなら、「善行」という意識でもって生活した方が健全ではないでしょうか?
私個人はそう思います。
天照大御神の末裔である我々が働かないでどうしますか?